昔、またその昔、僕が高校生のとき、生物の授業で生物の先生がこんな話をしてくれた。
「体にあるものには必ず意味がある。」
歯科医師という仕事をしていると、第三大臼歯を抜くことがある。いわゆる親知らずである。抜いてほしいという訴え(主訴)があることが多いため、多くの歯科医師は必ず抜いたことがあるのではないかと思う。
僕が研修医の時、ある口腔外科の先生は「親知らずはいらないものだから全部抜きましょう。」と説明していたことを覚えている。そのとき、ふっと高校生の生物の先生の話が蘇ってきて、すぐに消えて。
「体にあるものには必ず意味がある。」
親知らずは結局いらないものなのであろうか。
僕は面識はないのであるが陰でとても尊敬しているヤンデル先生というブログにこんな記事の一文があった。
以下引用である。
たとえば、乳輪であるとか、脇毛であるとか、それって何の役に立ってるんだよ…….って。
その答えとして先生の答えは乳首の位置を赤ちゃんが確認しやすいように必要なものであったり、脇毛や陰毛は汗腺と毛のコンビネーション、つまり汗に含まれる油脂によって大事な部分が詰まらないようにするためだと書いてあったのであるが、僕はこれを読んで、また頭の中に蘇ってきたのである。これだと。
体にあるものは何かの役にたっているのではないか……
と。